創業時
亀井家は代々藤堂藩の御用商人として仕えており、藤堂高虎公が四国の今治より津に国替えとなった際に、一緒にやって来ました。城下町として伊予町(現 津市岩田付近)が作られ、この地で、お茶の販売を手掛けておりました(屋号 真見屋)。第2次大戦中、津市の鉄工所が集められ軍需工場が作られました。創業者 亀井利三郎はそこで資材係をしておりました。戦後、軍需工場が解体され、勤められていた方々は各々の鉄工所に戻られました。資材係をしていた創業者は、そのまま各鉄工所と取引させて頂くことになり、この商売が始まりました。
1945年 亀井機工商会設立
創業時は、お茶の商売もしており、当時の看板には「銘茶」の文字もありました。茶葉と油の匂いが混じった社内だったようです。

社員も増えていき、産業用製品の扱いが増えると共に、お茶の扱いは無くなっていきました。
1961年 亀井機工株式会社設立
建屋も二棟になり、第二次産業だけではなく、第一次産業に携われる方々にも多く利用して頂いておりました。時代と共に、自転車での営業から、車での営業に変わっていき、大きな工業用製品の扱いが増え、第二次産業に携わるお客さんが主体になっていきました。
1967年 新社屋
津の街と共に発展していき、新しく社屋を建て直しました。1Fと3Fを事務所と倉庫とし、2Fを住居として使用していました。屋上からは海が見え、花火を見ながらの懇親会も度々あったようです。
1972年 2代目
創業者 亀井利三郎の病死にともない、「亀井すが」が2代目社長に就任しました。葬儀は社屋内で行い、沿道に多くの花が並んだようです。創業者は、お酒とビリヤードを好み、「津のハスラー」と呼ばれたとか呼ばれなかったとか・・・そんな噂のあった人でした。
1976年 社屋改築
まだ車も少なく、社屋周辺への駐車は自由でしたが、この年より駐車禁止になりました。車が停めれるよう1F部分を駐車場に改築し、2Fの住居部分を倉庫に変えました。
1978年 3代目社長として亀井加一郎が就任
この頃、現社屋がある高茶屋の土地を購入しました。埋め立ては済んでおりましたが、建物を建てるには平にする必要がありました。何度も土砂を追加し、丁寧に積み重ね、時間をかけて整地しました。
1982年 社屋移転
3代目社長の構想を基に、現社屋が完成。通信設備、映写装置、扉、屋根と細部に拘りがあります。伊予町社屋からの移転は8月に行い、取引業者の皆様に手伝って頂きました。3日間かけて備品や商品などを搬送したようです。暑い時期で、重い物もあり大変な作業ですが、駐車違反を気にせず荷下ろし出来るのが嬉しかったと、経験した社員が話していました。

移転当時は田畑に囲まれ、近所の川ではハゼが釣れました。90年代にかけ、周囲のお店も増え、土手には堤防が作られたりして、魚の姿も見かけなくなりました。

既製品の販売だけでなく、自社設備にてフライス、旋盤などの加工もおこなっていました。お客様への加工品だけではなく、自社の事務所内で使用する棚や机、倉庫内で使用する台車なども作ったようです。台車や机は現在でも使用しています。



1990年 コンピューター導入
日立製の32ビット機を導入。Windowsの無い時代、OS-2を使ってデータベースを自社で作成しました。
2002年 受発注システムの内製
それまでは部分的なPC処理でしたが、受発注を業務~伝票・請求書発行までをPCで処理出来るようにしました。効率は上がったのですが、システム故障も目立ちました。
2007年 関西IT活用企業百選に入選
自社内作の管理システムなどが評価され表彰されました。
2008年 ISO14001認証取得
数年前から取り掛かり、この年の3月に取得出来ました。経験も知識も無いゼロからのスタートで、ISOチームは四苦八苦でした。
2013年 4代目として亀井隆典が社長に就任
4代目として亀井隆典が社長に就任。3代目 亀井加一郎は会長に就任。
2014年 機械器具設置工事業を取得
これにより、お客様の建屋建設・改築時に、機械などを搬入・設置することが出来るようになりました。
2015年 旧社屋解体
移転してからは、貸しビルとしてバイク屋さん、塾などに利用してもらっていましたが、老朽化に伴い解体しました。
2019年 就業規則刷新
働き方改革に対応するため、改元に合わせて就業規則を刷新しました。